>> 09/14>> 建築は、哲学する。
国立図書館にすっかり魅せられて、フランスの建築家ドミニク・ペローを知るためにポンピドゥー・センターへ。ちょうど9月29日まで開催されている「ドミニク・ペロー作品展」では、国立図書館をはじめとする彼の代表的な建築が展示されている。
「施工主」「クライアント」という存在がある限り、建築家は完全なアーティストではなく、建築もまた完全なアートにはなりえない。今回の展覧会では、すでに完成したものや現在建設中のものだけでなく、コンペに落選して日の目をみなかったモデルも、一緒に展示されているのがおもしろい。ドミニク・ペローという建築家が理想とする建築、いってみれば、アーティストとしての建築家が本来作りたかった作品を、目にすることができるわけだ。
国立図書館の壁につかわれている、ゴールドメッシュの幕ドミニク・ペローは、建築をランドスケープの一部とみなす。広い森林のなかに、一見そぐわないような近代的なビルを建てたとしても、ガラスの壁に周囲の緑が反射して、建物と自然環境との境界線はあいまいになる。あたかも森の中に建物が沈み込むかのように、ビルは環境と同化する。建物の形態はオーガニックである必要ではなく、シンプルで直線的で無機質なほうがむしろ環境とうまく調和する。その結果、まるでギリシャ神殿のように、その場所そのものが神聖なまでの美しさを帯びる。
なんの変哲もない長方形の建物に、これほどの意図がこめられているとは。哲学する建築。奇抜な形で見る者の度肝をぬくフランク・ゲーリーとは、まるで正反対だ。
展示を見終わって外にでると、あたりはすでに夜。闇をバックにライトアップされたポンピドゥー・センターは、巨大な玩具工場のようで綺麗だけれど、やっぱり私は国立図書館のほうが好きだ。
>> 09/10>> 時を超えて
マレには小さな公園が点在していて、そのどれもが違った個性を持っている。その中でも際立っているのが、Square G Cain。20m四方ほどのとても小さな公園だけれど、私にとっては、凱旋門よりもコンコルドよりも、特別な場所。
一歩足を踏み入れたとたんに襲われるのは、時が止まったような錯覚。クモの巣のように、壁にからまる蔦。4時を指したままの時計台。無造作に咲くバラの群れ。壁面のレリーフは、火事かなにかで焼け焦げたのか、黒くすすけている。100前、あるいは200年前、マレに住んでいた人々が見ていたのと同じ風景が、そのままの姿で現れる。現代の潮流など気にもとめずに、別の時間軸の中に存在するかのように。
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建物を隔てたすぐとなりには、広い遊び場がある公園があって、学校帰りの子供たちの遊び場になっているのだけれど、そんなことは微塵も感じないほどの静寂があたりを包む。たった壁1枚隔てただけなのに、これほども違う。
マレという地区を象徴する場所。特別な場所なだけに、みんなに教えたくなる衝動と、自分だけの秘密にしておきたい欲求との間で、毎回ゆれ動く。
>> 09/08>> Lilleとアンティークとムール貝
日本から来た知人にさそわれて、パリ北部の町:Lilleへ。そこでは2年に1度、9月の第1週末に、Braderie de Lilleというアンティーク市が開かれる。
あいにくの雨にも関わらず、外はすでに人だかり。ストリートというストリートがすべて屋台で埋められ、街は「一大アンティーク祭」と化す。使い古した家具、食器、本、レコード、ジュエリー、ガーデニング用品、ミニカー、切手etc... それを「ガラクタ」と呼ぶか「宝物」と呼ぶかは、見る人の価値観によって決まってくる。当然、それによって値段も幅も広がる。だから、買う方はもちろん、売る方だって気が抜けない。
ミュージアムの「半券」。可愛くて捨てられない系。 |
骨董品級、スライド映写機。 |
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雨にぬれたせいで、買い物欲もややダウン。ランチブレイクに、ムール貝を食べる。ベルギーとの国境に近いLilleは、ムール貝が美味しいことでも有名なのだ。案の定、古ぼけたライトを手にした夫婦が、レストランにやってきた。アンティークとムール貝、なんとも不思議な取り合わせ。
せっせと口に運ぶ様子は、日本人が枝豆を食べる姿に似ている | |
ムールを食べる人々、そして貝殻。 |
満腹になったら、運河沿いを散歩。 |
予想していたほど買いこむことはなかったけれど、ムール目当てに来ても決して損はない。結局のところ、物事の価値はすべて本人次第。アンティークと同じように。
Lilleの冒険へ誘ってくれた2人。Merci!